Lamp in S.B.S.
ネット物書き音沼紗春の日記。 日常と、文章について。 時々、サイトの更新情報。
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15番目の神様
半分くらい私小説じみてる密室真実。
これもしたのとおんなじで、ドロップです。
辞書でしらべたら、割れやすいってことが書かれてたので。
ちょっと傷ついて、みたいな。
確か最終的には、血の味感じながらも甘いぜ、というようにやや幸せ風エンドの予定だった気がします。
これも立ち行かなくなってぶつ切り。けど、ぐだぐだに長い。
間間の描写は結構気に入ってるんだけどな。間間に描写を入れる、という形式も。
これもしたのとおんなじで、ドロップです。
辞書でしらべたら、割れやすいってことが書かれてたので。
ちょっと傷ついて、みたいな。
確か最終的には、血の味感じながらも甘いぜ、というようにやや幸せ風エンドの予定だった気がします。
これも立ち行かなくなってぶつ切り。けど、ぐだぐだに長い。
間間の描写は結構気に入ってるんだけどな。間間に描写を入れる、という形式も。
・ 弾かれて落ちて割れる
考え違い、と勘違い、何が違うんだろうね。
結局それは、わたしの勘違いでした、考え違いでした、つまり間違いでした。
そう、全部、違ってたんです。
ペットボトルを傾けて中身の清涼飲料水を口にする。ゆっくりとのどに通していくが、どうにも動きが悪い。まるで整備不良のようで、飲み下せませんと叫んでこの甘い味を吐き出してしまいたくなる。それでもどうにか飲み込んで、重い息をつく。キャップをしめながら口元を乱暴にぬぐう。そういえば今日は色つきリップをつけていたのだと気がついてぬぐった手首を見ると、きらきらとラメが光っていた。口紅に入っているものはパールというのだっただろうか。小さなキラキラが、腕の上で光を反射している。指でこすってみるが取れなかった。
地味で根暗でがり勉、もしかしてそんな風なラベルが頭の上に張られているんじゃないかな、って思っていたけれど。でもだからって、疎まれているだなんて思ってはいなかった。挨拶を交わして、ぎこちなくだけど笑い合えるようなそういう関係だと思っていた。お互いに一歩踏み出せば手と手が届く距離にいるんだと、ずっと思っていた。
手首の上に爪を立てる。人差し指の爪は、ぶつけたわけでもないのに亀裂が入っていた。表面がめくれかけていて、触れるとガサガサする。服とか糸とか布とか、触れたらひっかかって厄介なことになりそうだ。家に帰ったら切るか、やすりをかけなければいけない。まだ短いのに割れてしまうなんて、そんなにもカルシウムが足りていないのだろうか。それとも、覚えていないだけで実はどこかにひどくぶつけたのだっただろうか。しかし、歯や足の爪とは違って手の爪というのは意外と柔らかい。ぶつけたくらいで割れるとは思えなかった。接着剤でくっつけたらだめだろうか、と考えて、ああ、ずっとマニキュアをしていないな、と思い立った。マニキュアを塗ったらごまかせるだろうか。いや、きっとうまく塗れないだろう。マニキュアを塗っていたら、割れることもなかっただろうか。
挨拶を交わしたことは、何度かあった。一つ一つ重ねるたびに段々と、最初は知人という風だったのに、友人という風な空気に変わっていった。それは、気のせいだっただろうか。わたしが勝手に思っていただけだったのかもしれない。ふと隣に立っているときにペンを貸したり、一言二言会話をしたこと、あったと思う。わたしでなくともそうしていたとは思うけれど、でもわたしでもそうしたっていうそれだけで、わたしは嬉しかった。
窓には、水滴の形をした砂埃が並んでいた。雨粒でほこりがかためられてしまったのだ。だれも掃除をしないのだろうか。この前雨が降ったのはいつだっただろうか。雨が降ればほこりを洗い流してくれるものだとそう思っていたが、ほこりが酷いところでは逆効果のようだ。しかしきっと、雨が降っている間はきれいなのだろう、水が流れて汚れごと洗い落としてくれる。雨がやんで、塗れた窓にほこりがくっつくからいけないのだ。ずっと雨が降っていたら、窓はきれいなままなのだろうか。しかし、雨水も汚いのかもしれない。掃除をした後の窓だって、ばい菌はいくらでもついているだろう。だとすると、何もないように見える窓ガラスだって、汚い、のかもしれない。
好きと思われているだなんて思ってなかった。ただ、嫌いだなんて思われてないと。ただ、普通の同級生と思われていると。そう思っていただけなのだけど。
嘘だ。
好きと思われていると思っていた。
だけど、そんなのは間違いだ。
彼がわたしを好きなのではなくて、わたしが彼を好きなのだ。
好き、というのは絶望だと思う。
そう決めてしまったからには、のめりこむ。しかしそれは自分の世界のことで、相手の世界には何も変動などないし、自分の世界以外のことに手を出せるわけがない。どれだけ望んだって思ったって、周りは何も変わらない。望みだけが募って、苦しくなる。
触れることを恐れないでほしい、なんてわたしが言えた義理などないとは思う。
わたしは踏み出しているつもりなんだけどな。
飴玉、というのは噛むと粉々に割れてしまう。口の中で弾ける瞬間はどこか甘美で、だがその尖った残片は鋭い痛みを持っている。
人を好きになることというのは、やはり絶望だ。
了 ?
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