Lamp in S.B.S.
ネット物書き音沼紗春の日記。 日常と、文章について。 時々、サイトの更新情報。
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……ふ。…この距離で外すとでも?
タイトルは、今日クリアした祭囃し編の感動の名残り。
それを書きにきたわけじゃないのだけれど、ね。
お久しぶりです。
音沼紗春、参らせていただきます。
実際のところ、実はネット復活はしてません。
ブログだけつないでるとでもいうか。
ちなみにそのあたりは自分でやってます。
行こうと思えば、もちゃっとにだって行ける。
とりみるにも、蒼狂にも、宵月にも、みくしいにも。
このあたりが最近……ではないけど最大のお気に入り。
もちろん、大差ない辺りに色々あるんだけど、あえてあげるならこれら。
わたしは、散歩に出かけた。
下駄を履いて。最近のまがい物ではなく、ちゃんと二本足だ。
だから実際歩きにくいのだけれど、あまり気にしない。
7、8分くらいのところまで行って、帰ってくる。
特に意味のない散歩だった。ただの散歩。
帰り道のこと。
自動販売機でチェリオのココアを買ってみた。
ホットは牛乳でおいしく以下略がお気に入りで、アイスはバンホーテンだった。
アイスのお気に入りを譲ってもいいかな、という味だった。でもバンホーテンのほうが安い。
ショップ99にもココアを見つけた。今度はあれを買おうと思う。
そして、わたしの家への長い長い直線の道を歩いていた。
ココアの缶を手に、下駄で、アスファルトの道を。
不意に思い立って、下駄を脱いで素足になってみた。
歩きにくかったのもあったし、試してみたかったのもある。
どうせ帰っても怒る人はいない。
アスファルトの上は熱かった。
片手にココア、片手に下駄を持って、家へ向かう。
途中で遊戯王カードが落ちているのを見つけて拾ったり。
5分くらいの距離を歩いた。
痛いとも思ったけれど、そんなに痛くはなかった。
でも、アスファルトの上は熱かった。
ずっとアスファルトの上を歩いていようと思ったけれど、途中で耐えられなくなって側溝の蓋の上を歩いた。
あるいは白線の上。そこは熱くなくて、普通に歩くことができた。
アスファルトの上は、本当に、鉄板なのではないかと思った!
そして帰ってきて、ああ、これは少しやけどをしたかもしれない、と思った。
そして、今だ。
足の裏、土踏まずと指たちの間の部分に、ほんのちいさな水ぶくれができている。
思ったよりやけどは軽くなかったらしい。
そんな馬鹿な! と思った。
馬鹿なのはわたしじゃない。
裸足で歩けない道路って何だろう!
確かに今は夏だけれど。確かに日差しは強いけど。
でももう秋なのだ、九月なのだ!
馬鹿なのはわたしじゃなくて、アスファルトなのだ!
と、まあ憤っている紗春さんですが。いきどおっている、ね。ひどくはらをたてていること。
足の裏に火傷、っておもしろいね。
何、鉄板の上でも歩いたの? みたいな。
したらば、うん。だよね。
で、は? の次に、僕らは鉄板の上に生きているんだ! ってさ。
たいやきくんじゃないよ。
ところで、実は意外とわたくしは被虐嗜好がある気がした。
もちろんそれは加虐に『耐えられる』というだけであるわけでもあるのだけれど。
実はわたくし人体実験好きだし。
ストーブに指先当ててみたり、サイダーをコップ一杯一気飲みしたり、熱いアスファルトの上を歩いてみたり、ものすごく重い荷物を限界突破くらいまで持っていてみたり。
他人の体でやるわけには行かないので自分の体でやってみる、のです。
基本的にうつ状態な感じの時にやってます。
程度が進むとリストカットになるかもしれませんし、死んじゃうかもしれません。
でもだいじょぶです、人体の神秘はこれからです。
そんでもって、リストカットは試してみたことあるし。
いやはや。彫刻刀で手首辺りを削ったことはある。
血が出るまでは皮膚の表面が切れても痛くなかった。血が出る頃から痛くなった。
という、実験をした。なかなかいい発見をしたと思った。みたいな。
んでもって、最近他人に興味を持った。
他人。
絶対にわかることのない他人。
個人が今、これを読んでいたり、歩いていたり、眠っていたり。
そしてそれらは永遠に個人であり、『他人』をわかることはできない。
噛み砕いて言えば、相手が何を考えているかがわからないし、自分がどう見られているかもわからない、相手が何を望んでいるかもわからないし、自分とすれ違った人が自分を見たかどうかすらわからない。
そういう、他人。
で、悟ったわけよ。
人は多分輪廻転生? 生まれ変わってるよ。何度も、何度も。
他人を理解するために。
でも、うまく記憶を引き継げてないから、何度も誰もが生まれ変わらなければならないのです。
もちろん、わたしがそう思っただけであって、それが真理であるかどうかはわからないけれど。
でも、わたしはそれが真実であると、そう理解している。
うん、やっぱこういうこと書くの好きだな。
明日は友人と遊びます。彼女がこれを読むことはないと思う。
多分途中で読むのをやめる。
あるいは、このHP自体見ていないのかもしれない。
それでもいいし、それでいい。
あるいは、この文章を読む人はロボットくらいなもんなのかもしれない。
それでも構わない。
この文章は、わたしが書いただけのもので。
つまり、うん。
わたしはこの言葉、好きだよ。
自己満足なのでした。
あ、また少しいなくなるかもです。
それを書きにきたわけじゃないのだけれど、ね。
お久しぶりです。
音沼紗春、参らせていただきます。
実際のところ、実はネット復活はしてません。
ブログだけつないでるとでもいうか。
ちなみにそのあたりは自分でやってます。
行こうと思えば、もちゃっとにだって行ける。
とりみるにも、蒼狂にも、宵月にも、みくしいにも。
このあたりが最近……ではないけど最大のお気に入り。
もちろん、大差ない辺りに色々あるんだけど、あえてあげるならこれら。
わたしは、散歩に出かけた。
下駄を履いて。最近のまがい物ではなく、ちゃんと二本足だ。
だから実際歩きにくいのだけれど、あまり気にしない。
7、8分くらいのところまで行って、帰ってくる。
特に意味のない散歩だった。ただの散歩。
帰り道のこと。
自動販売機でチェリオのココアを買ってみた。
ホットは牛乳でおいしく以下略がお気に入りで、アイスはバンホーテンだった。
アイスのお気に入りを譲ってもいいかな、という味だった。でもバンホーテンのほうが安い。
ショップ99にもココアを見つけた。今度はあれを買おうと思う。
そして、わたしの家への長い長い直線の道を歩いていた。
ココアの缶を手に、下駄で、アスファルトの道を。
不意に思い立って、下駄を脱いで素足になってみた。
歩きにくかったのもあったし、試してみたかったのもある。
どうせ帰っても怒る人はいない。
アスファルトの上は熱かった。
片手にココア、片手に下駄を持って、家へ向かう。
途中で遊戯王カードが落ちているのを見つけて拾ったり。
5分くらいの距離を歩いた。
痛いとも思ったけれど、そんなに痛くはなかった。
でも、アスファルトの上は熱かった。
ずっとアスファルトの上を歩いていようと思ったけれど、途中で耐えられなくなって側溝の蓋の上を歩いた。
あるいは白線の上。そこは熱くなくて、普通に歩くことができた。
アスファルトの上は、本当に、鉄板なのではないかと思った!
そして帰ってきて、ああ、これは少しやけどをしたかもしれない、と思った。
そして、今だ。
足の裏、土踏まずと指たちの間の部分に、ほんのちいさな水ぶくれができている。
思ったよりやけどは軽くなかったらしい。
そんな馬鹿な! と思った。
馬鹿なのはわたしじゃない。
裸足で歩けない道路って何だろう!
確かに今は夏だけれど。確かに日差しは強いけど。
でももう秋なのだ、九月なのだ!
馬鹿なのはわたしじゃなくて、アスファルトなのだ!
と、まあ憤っている紗春さんですが。いきどおっている、ね。ひどくはらをたてていること。
足の裏に火傷、っておもしろいね。
何、鉄板の上でも歩いたの? みたいな。
したらば、うん。だよね。
で、は? の次に、僕らは鉄板の上に生きているんだ! ってさ。
たいやきくんじゃないよ。
ところで、実は意外とわたくしは被虐嗜好がある気がした。
もちろんそれは加虐に『耐えられる』というだけであるわけでもあるのだけれど。
実はわたくし人体実験好きだし。
ストーブに指先当ててみたり、サイダーをコップ一杯一気飲みしたり、熱いアスファルトの上を歩いてみたり、ものすごく重い荷物を限界突破くらいまで持っていてみたり。
他人の体でやるわけには行かないので自分の体でやってみる、のです。
基本的にうつ状態な感じの時にやってます。
程度が進むとリストカットになるかもしれませんし、死んじゃうかもしれません。
でもだいじょぶです、人体の神秘はこれからです。
そんでもって、
いやはや。彫刻刀で手首辺りを削ったことはある。
血が出るまでは皮膚の表面が切れても痛くなかった。血が出る頃から痛くなった。
という、実験をした。なかなかいい発見をしたと思った。みたいな。
んでもって、最近他人に興味を持った。
他人。
絶対にわかることのない他人。
個人が今、これを読んでいたり、歩いていたり、眠っていたり。
そしてそれらは永遠に個人であり、『他人』をわかることはできない。
噛み砕いて言えば、相手が何を考えているかがわからないし、自分がどう見られているかもわからない、相手が何を望んでいるかもわからないし、自分とすれ違った人が自分を見たかどうかすらわからない。
そういう、他人。
で、悟ったわけよ。
人は多分輪廻転生? 生まれ変わってるよ。何度も、何度も。
他人を理解するために。
でも、うまく記憶を引き継げてないから、何度も誰もが生まれ変わらなければならないのです。
もちろん、わたしがそう思っただけであって、それが真理であるかどうかはわからないけれど。
でも、わたしはそれが真実であると、そう理解している。
うん、やっぱこういうこと書くの好きだな。
明日は友人と遊びます。彼女がこれを読むことはないと思う。
多分途中で読むのをやめる。
あるいは、このHP自体見ていないのかもしれない。
それでもいいし、それでいい。
あるいは、この文章を読む人はロボットくらいなもんなのかもしれない。
それでも構わない。
この文章は、わたしが書いただけのもので。
つまり、うん。
わたしはこの言葉、好きだよ。
自己満足なのでした。
あ、また少しいなくなるかもです。
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