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Lamp in S.B.S.

ネット物書き音沼紗春の日記。 日常と、文章について。 時々、サイトの更新情報。

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大破すればいいのに

わたしの頭が。


 報われる為に君を好きな訳じゃない
 君が好きである事は報われなくていい

 僕は
 誰かを好きになる上で
 見返りを求めているんだったら
 それは何か違うと思います

勝手に引用するんだけど。レミネさんとこの日記から勝手に引用したんだけど。
まあ、でも、先に「友達に飽きる」について考えてみる。

ありえないことではないと思う。
要するに、友達が何か、っていうものが、意識として違うのではないだらふか。
簡潔に言って、悪い言い方をすれば、友達をおもちゃ扱いしている。自分を楽しませてくれなければいけません、というようなね。
いい言い方をするならば、どうだろう。深く踏み込まなくて、べたべたしないから、人によっては、付き合いやすいのかも。
悪いところが一旦目に入ると、そればっかりがぐるぐるしたりもするよね。
飽きるっていうのは、ある側面から見ると、楽しませてほしいから、ってことで、楽しみたいから、っていうことで。
現状が不満なんだろうか。そう思った瞬間に、いいところが目に入ればさみしいって思うだけなのかもしれないのにね。悪いところっていうのは、なぜかいつも、目に付きやすいのだよね。
飽きる、か。
なんだか、言葉を間違えている気もするよ。
とりあえず、ありえてもいいけれど、飽きられたくは、ないよね。

そして、「好きに見返りなんて求めない」のお話。
要するに、最近のわたしの考え事と部分的に合致するから、なんとなく、書いてみることにしたのだけれど。

なるほど。って思うよね。
わたしも根源的にはそう思う。
っていうか、わたしの持論においては、それがつまるところ「愛」なのだけど。
で、要するに、見返りを求めたら「恋」かな。

好きでいること自体が、わたしはもう既に幸せなんだけど。
でもそれでもわたしが見返りを求めるのは結局。
相手に幸せであってほしいがゆえなんだよな。
わたしがあなたを好きであることの見返り、って要するに、あなたがわたしを好くこと、だよね?
なんていうのかな。例えば、嫌いな人から愛されて、嬉しい? 嬉しくないと思うんだ。少なくとも、どう考えてもサイコロの一面くらいは、嫌だと思うと思うんだ。
わたしは、わたしがあなたを好くことを、あなたが厭うていないかどうかだけが、不安だ。
とまあそういうわけで、嫌われていたら、好くのはなんだか申し訳がなくて。好かれていたら、存分に好いていられるのに。ってことかしらん。

見返り、っていうほど、わたしは何も望んでいないつもりなんだけどな。
ただ、好きでいることを許してほしい。できるなら、少しだけでもいいから喜んでほしい。それから、ただ、ただ黙って隣にいることを、許してほしい。ただ黙って隣にいる時間が、あなたにとってつまらなくとも、わたしにとっては幸せで、そうであることを、許してほしい。

うん、許してね。何もかも。
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